love laboratory

TMRのうろおぼえライブレポート。今はほぼ過去ログ置き場。

『LOVE REVOLUTION』 bayfmラジオレギュラースタート

思えばこれが、ボーカリストとしてだけでなく西川貴教本人にハマったきっかけ。今でもラブラボは全部テープにとってあるくらい、思い入れは大。 *** 奇跡の力って信じますか?この世界には神さまがいて、それは時々とんでもない啓示をあたえるのです。そう、私が西川貴教、ひいてはTMRにここまで入れ込んで未だ離れられないのはきっかけはとても単純。その神が降りてきたのです。天空の永遠があるという城から世界を革命する力を携えて(笑) 来ちゃったんですね。私のもとにも世界の果てからの招待状が。 そもそも始まりは彼のライヴに行ったことなんだけど、それだけじゃここまで本人にはまることはなかった。きっと。accessの時は精々ツアーは2.3ケ所行ければ満足だったし、ましてや地方まで遠征するとは思ってもいなかった。それがまったくどうしちゃったんでしょう?上手く策略にはまってしまったといえばそれまでなんだけど、ゼロから一緒にこのT.M.Revolutionというものを創って布教することに宗教的陶酔を覚えてしまった。その最たる洗脳ツールがラジオ、『LOVE REVOLUTION』だったのです。 今となっては毎週のオールナイトニッポンも惰性で聴いているだけで、もうラジオというものに思い入れはなくなってしまったけど、ラブラボはホントに毎週、どきどきしながら聴いてた。みんなどうせハガキなんて書いても読まれないって思ってない?そんな風に油断していると痛い目みるわよ。私みたいに。何気なく出した最初の一枚が偶然読まれてみてごらんなさい!『○○○○ちゃん(本名で出してた)』なんて呼ばれてごらんなさい!まるでラジオの向こうの西川君と自分がその瞬間だけ世界で二人っきりのような錯角と妄想の世界へ一直線。日曜日の深夜25時という時間も妄想度を掻き立てるのよ。ホント、たかがハガキが読まれただけで、名前が読まれただけで動機が激しくなって(死)寝つけなくて、寝不足のまま月曜学校に行くことに。若かったわね、私も。 そんな一枚目が読まれたというビギナーズラックに浮かれて、それからは毎週ハガキを描いてた。授業中に(殺)。ちゃんと毎回カラーでイラスト入りで送ってたあたり、愛が感じられます。でもその当時だと毎週送ってるだけで、確実に名前を覚えてもらえそうだったし。実際3.4枚に一枚ぐらいの割合で読まれていたあたり、よほどハガキが少なかったのかしら?なんて。まあオタク同士、ネタ的に繋がるものがあったのかも(死)。その当時私は某パズルゲームにはまってて、そのキャラが西川君に似てるって出したらコスプレしてライヴに来いって云われてホントにやってったこともあるし、やんちゃでしたよ・・・ばっちりライヴビデオにも映っちゃってるし、今見ると赤面の青春(死)♪暴走はやむを得ない~ BLITZのライヴのあとオールでカラオケ行ってそこでノリで描いたハガキがさっそく次のラブラボで読まれたり、ヴィ-ナストレインの追っかけレポが読まれたりと、その当時は勝手に常連気分♪(←殺)ラジオの内容も、30分しかなかったけどすごく大切に作ってて大好きだった。そこで西川君本人の生き方や音楽観やオタクなネタ(充分マニアなのにオタクじゃないと言い張ってるけど)とか、その他諸々の魅力にとり憑かれて、気付いたら泥沼。 その中でも、96年の秋。1回目のファンイベントのバスツアーでのこと。それは偶然にも10月27日、私の誕生日に開催ということもあって、すごく楽しみにしていたのだけど、何とイベント2日前に緊急入院することになってしまい、泣く泣く断念。ひとり病院の窓から青い空を見上げて、遠い空に想いを馳せながらひとりぼっちのバースデー(泣)。でラブラボのハガキを描いて、点滴を引きずりながらポストに出しに行った。本音はすごく行きたかったけど、一緒に行くはずだった友人がかわりに西川君に伝言してくれて、お大事にね、と云ってくれたのがせめてもの救い。 で、その週の木曜日(この時はもうパワレボになってて木曜にやってた)無理矢理外泊許可をもらってラジオ聴く為にアパートに帰る(死)。そうしたらあの病院で書いたハガキを読んでくれて、西川君の声で『早くよくなってね』の一言。もう感涙。 そんなこんなで他にもハガキ読まれた想い出はいろいろあるけど(オールナイトも一回だけある)こうやってドツボにはまってしまったのです。